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生徒の「質」を上げるべく…

 「良い授業」って何だろう。

 

 「良い講師」ってどういう人を指すんだろう。

 

 塾講師となって約20年、ずっと考えている…。

 

 昔の自分は、とにかく「何でも教えたがり」であった。

 

 「先生、これわかりません。」と質問を受ければ、マンツーマンで「うん。これはこうすればできる

 

よ。」といちいち紙に書いて説明(ほとんど答えを教えちゃうような感じ…)していた。しかし、全体的

 

に生徒たちの学力の伸びは少なかった。当時は「なぜだろう?」と考えていたが、今となっては至極当

 

然。生徒たちから「なぜそうなるか」「どうやったら解答に辿り着くのか」といった思考の機会を奪っ

 

ているのだから、上がるべくもない。

 

 現在、「数学」の授業では、例題説明の中でポイントや間違えやすい箇所のみを強調し、なるべくし

 

ゃべり過ぎない(教えすぎない)ように配慮している。そして演習量を増やすようにして、「解き直

 

し」の中で「気付かせる」ようにすることで学力を伸ばす指導を実践している。生徒からすれば「(都

 

合の)いい先生」ではないだろう。しかし、ここは学習塾である。成績向上につながらないようであれ

 

ば、意味はない。

 

 本当の「良い講師」というのは、生徒に「気付き」をもたらし、「学力を伸ばす」ようにしむけられ

 

る講師ではないかと思う。だから、生徒が質問に来たときも、今は手取り足取り付き合うようなことは

 

しない。調べれば分かる事柄であれば「教科書で自分で調べよ」と突き放すし、「この問題が解けませ

 

ん。教えて下さい」と言われれば、必ず「どこまでがわかっていて、どこがわからないのか」を逆質問

 

する。思考を挟んだ上での質問であれば、わからない箇所はピンポイントだもんね。一言二言のヒント

 

でだいだい自分で気付き、正解にたどり着く。「全部説明して下さい」と言う生徒は、自分なりの思考

 

を挟んでないので、学力は伸びるわけがない。そういう生徒に付き合う時間などない。時間と労力の無

 

駄である。調べればわかるものは自分で調べ、そのうえで理解できない部分だけを再度質問するように

 

指導して、一旦突き放す。そうすると、次回以降はやれることをやった上で質問に来るようになる。中

 

に突き放されたという事実に萎縮して、めっきり質問に来なくなる生徒も稀に存在するが…。(そういう

 

生徒は友達に聞くようになるが、これはこれで良い効果をもたらす部分があるので、黙認。)

 

 また、「良い授業」というのも、表面上「分かりやすかた」ではなく、生徒に「思考させる」授業

 

を指すのだろう。目の前のテキスト演習だけがスムーズに進むようにすべてをお膳立てしても、問題が

 

解けるのは「その場」限り。しっかりと思考させなければ、脳には刻み込まれない。結局、勉強は自分

 

で獲得できるかどうかが全て。我々講師の授業の役割は、生徒が知識を吸収するお膳立てをすることに

 

尽きる。だから説明しすぎてはいけないのだという結論に達した。誰にでも経験はあるかと思う。「あ

 

あでもない、こうでもない」と自分で苦労して考えて獲得した内容は、ずっと頭に残っているものだ。

 

逆に人から教え過ぎられた内容というのは、その場では「わかったつもり」にさせられるが、いざ1人

 

でやってみようとなった場合、大抵「どうやるんだっけ…」と手が止まる。こういうのは頭が悪いんじゃ

 

い。「思考」を挟むことを省いた勉強の仕方、学ぶ姿勢がマズイのだ。

 

 講師としては、教え込んでしまうのが楽だし、仕事をした気にもなる(自己満足だね)のだが、それ

 

は結果として生徒の成長の機会を奪い取っているに過ぎない。況に応じた最善の指導ができるよう

 

生徒をよく観察し、個々の生徒の習熟度に応じていろんな「ひき出し」を持つよう努めていきたい。

 

 そういったことを実践していく中で、質問の「質」が上がったり、勉強の「質」が上がってこれば、

 

必然的に生徒の「質」も上がってくるだろう。生徒にとって学伸塾が「地域一番の塾」であってくれる

 

ように、まだまだ研鑽を重ねなければならない。ただ、「いい人」にはならないよ。(笑)

 

 

※成績下位者ほど、安易に「結果=答え」を求める傾向にある。成績を向上させたければ、その考え方

 

を改めることから始めないと、現状は変わらない。勉強の成果は易々と手に入るモノではない。もっと

 

苦労せよ。頭の使い方を学べ。それが自分の財産になる。