お盆休みのお陰でじっくりと考え事をする時間がとれたので、生徒の疑問に答えようかなと…。
「これって何の役にたつの?」
よく聞かれることだが、まぁそうだよね。否定する気はないな、その疑問。だって自分も勉強の本質
(?)に気付くまでは、ず~っと疑問に思ってたからね。
で、僕なりの結論でも書こうかと…。因みに、あくまで「僕なり」のとらえ方であって、正解かどうか
はわからない。…が、的外れとも思わない。興味のある方は是非一読あれ。
勉強には、社会に出てから役立つことが詰まっている。
「人から学ぶとはどういうことか」ということ。
「相手に敬意をはらう」ということ。
「相手の話を傾聴する」ということ。
「相手を信頼する」ということ。
「姿勢を身につける」ということ。
「逃げ出したり、投げ出したりしない」ということ。
「平等であり、努力が反映される」ということ。
「我慢・辛抱する」こと。
「真摯に取り組む」ということ。
「自分が向上するためにはどうあるべきか」ということ。
こういったことがすべて凝縮されているのが「勉強」というものかと思う。
「学ぶ姿勢」や「結果が出るまで腐らず取り組み続ける」こと、「論理的思考をもって、試行、考
察、改善」を繰り返すことなど、社会人となってからも必要な要素は、すべて学生時代の「勉強」で身
につけるべきことではないのかな。人生はずっと「学び」の連続。今習っているものがそのまま使える
かどうかではなく、「思考の組み立て方や土台を学んでいる」という意識が必要。失敗が「単なる失
敗」で終わるのか、「経験に変えられる」のかどうかも、勉強というもののとらえ方1つで決まると思
っている。
学伸塾の勉強では、「時間で区切る」のではなく「必要なことをやり切る」ことを方針としているの
は周知の事実だし、勉強以外の事にも口うるさいのだが、これらはすべて、上記のように社会に出てか
らも通用する人間形成のためと思って、頑張り抜いてほしい。少なくとも、「手の抜き方」や「誤魔化
し方」などという自分を貶めることを学ぶのだけはやめてほしい。「向上心を持って頑張
る」ことこそが学伸塾生である条件なのだから。