困ったときの神頼みって言うけどね、いくら指紋が消えるほど手を擦り合わせて祈って
みても、結局たいした努力もせずにただ拝み続けているだけ人間のもとには何のご加護も
ない。この辺はシビアだと思う。いや、公平と言えるのかな。
経験上、神とか仏ってものは本気で頑張っている人間の覇気という
か気迫というか、そういったエネルギーに呼応して寄ってく
る感じがする。例えば試験ギリギリまで参考書に目を通していたら、試験にその内容が出
たとかね。このぐらいの体験なら多くの人が持っていると思う。神がかったような出来事
に遭遇するのは勉強にしてもスポーツなどにしても、得てして全力で事にあたっている場
面である。やるべきことをやっていない人間が神頼みをしても意味がない(図々しいだけ
で見苦しいよね)が、やるべきことをやり遂げた人間であれば大いに神頼みをしてもいい
んじゃないかな。もっとも僕も学伸塾創立時はあまりに生徒がいなさ過ぎて神頼みしちゃ
ったけどね。それでも腐らずに生徒が少なかったときもしっかりと教材と授業の準備はし
た。絶対に目の前の生徒の成績を上げるんだという気迫を前面に押し出して指導もしたつ
もりだ。おかげ(?)である時点から急速に状況が改善されたけどね。頑張って結果を出
さなかったら今の学伸塾はなかったわけだからね。そう言った意味では頑張った分の見返
り(ご加護)はもらったのかなと思っている。(独立を決意した時点で指導に自信はあっ
たけれど、さすがに最初は焦りました…。( ;∀;))
入試までの残された日数は多くはないが、最大限の努力をしたうえで神頼みをしてほし
いなと願っている。今の頑張り・気迫で神や仏を味方につけることができるかい? 頑張
れてない人間には彼らは寄ってこないよ? ラクな方、ラクな方へと流されることのなき
ように自分を律して、常に自分を高めるべく努力を続けよう。