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持ち合わせていない

 残念ながら、

 

 僕は塾講師としてもっとも大事なもの

 

 を持ち合わせていない。

 

 それは昔からわかっていた…。

 

 現に、講師生活1年目で、

 

 そのことを自覚し、

 

 塾業界を去ろうとさえしたこともある。

 

 

 

 では、

 

 何が足りないと感じたかといえば、

 

 いわゆる“カリスマ性”である

 

 教務力などは

 

 数年のキャリアを積めば

 

 大半の先生たちは同じようなレベルには達する。

 

 そこに関しては

 

 努力でカバーできる範囲なので、

 

 自分次第ということになろう。

 

 やってやれないことはないし

 

 今も向上するべく研鑽はしているつもりだ。

 

 

 しかし、

 

 真に優れた講師というのは

 

 発する言葉に不思議な力が宿っているような気がしてならない。

 

 そう、

 

 生徒たちをその気にさせる何かが…。

 

 うまくは言えないが、

 

 単に話術に長けているという類のものではない。

 

 カリスマ性を持った講師の話を聞いた生徒たちの目は

 

 確実に光り輝くのだ。

 

 なんだろう?

 

 言葉や表情、

 

 その人から発せられる雰囲気、

 

 そういったもので

 

 圧倒的なプラスのエネルギーを

 

 分け与えることができる、

 

 とでも言えばいいのかな。

 

 これって、

 

 生来その人が持ち合わせているものだと思うんだよね…。

 

 

 塾講師1年目に出会った、

 

 当時の直属の上司が

 

 そんなカリスマ性をもっていた。

 

 生徒たちのみならず、

 

 保護者の方々も皆、

 

 その先生を信じてやまない、

 

 そんな感じだった。

 

 その先生の指導を受け

 

 人生が変わった生徒を何人も目の当たりにし、

 

 「こういう人が“本物の指導者”なんだな」

 

 そう感じさせられるとともに

 

 講師としての圧倒的な力量の違いを見せつけられ、

 

 塾業界で生きていく自信を喪失しかけた…。

 

 

 あれから20年近く、

 

 その最も身近にいたカリスマ講師のようになることを目標に

 

 いろいろと勉強し

 

 実践しててきたつもりが、

 

 あくまで“つもり”なんだな…。

 

 カリスマ性は未だ持ち合わせていない。

 

 僕にもっとカリスマ性があれば、

 

 もっと講師としての力量があれば、

 

 もっと多くの生徒たちの人生を変えられるはずなんだけどね…。

 

 一流の講師の定義って

 

 単に学習知識を教えて点数を取らせるだけに留まらず、

 

 多くの生徒たちの人生に良い影響を与えられる先生

 

 なんだと思う。

 

 そう考えると…、

 

 僕は一流にはなれそうもないね…。